けしのはな

沈黙を舌で味わう

落日

 山の向こうに転げ落ちていく赤い太陽と、覆いかぶさる夜の境に、無色彩の線がひとすじ隠れている。それは永遠性のヒントであり、楽園の顕現である。

 赤信号すら夕日の残滓に見えるほど、落日の印象はいつも大きい。知らない自分をスクリーンに大きく映し出す斜陽は畏怖の対象である。ソログープの『影絵』のように、影は別の世界の入り口であり、そこに気を取られればーそのときにはもう狂人となっている。まるでゆっくりと箱の蓋が閉まっていくように、主体すら目の届かない世界に閉じてゆく。

 

 ドラゴンクエスト8でも影により別世界への扉が提示されるシーンがあった。廃墟の扉の影が月の傾きに従い伸びてゆき、壁を沿って登っていくとそれは月の世界への扉となる…今までしたゲームの中でも最も好きなシーンの一つだ。(ゼルダドラクエくらいしかやっていないので数は限られるのだが)

 

 

 落日を人の死と重ね合わせることは多い。椎名林檎の同名の曲もそうであるし、光り輝くものが消え闇に覆われていくその様子は、亡くなった方が太陽のように大切な人であればぴたりと重なることだろう。

昨年度は親しい人、身近であるべき人が亡くなった。僕の周りにこんなにもたくさん大切な人がいて、その人たちが今までこの世を去らず生きてくれていることに、むしろそこしれぬ恐怖を感じてしまった。

 

これからも人はこの世界から消失し、やがて自分自身が沈んでいく…消えた太陽が何処へ往くのかなど分かるはずもない、ただ、沈みゆく太陽それ自身のみぞ知る。その姿が見えなくなり、誰からも忘れ去られたとしても、月の鏡で大切な人たちを照らしていたいものだ。