けしのはな

沈黙を舌で味わう

無力化する境界を感じること

昼寝から目を覚まして暫くの間、僕は夢うつつの境におり、目に入る現実世界に存在する如何なる境界や障壁をも無意味化する感性を獲得する。窓の外に見える青空と、その中を泳ぐ白い鯨のような雲の群れを見れば、忽ち僕が座っている椅子や僕を囲む壁、窓、天井が世界から抜け落ち、僕は無限の空色の中に同一化する。しかしそれは自らのちっぽけな存在の無力さを知る契機となるのではなく、むしろ自分がこの世界それ自身となるような、力強い生の体験である。

 

普段、生活のレベルにおいて勉強、サークル、バイト、将来の就活…というような細々とした(しかし切実な!)悩みを常に抱え鬱々とした毎日を送っている自分が、ふと図書館の隅で感じた全能感ですべてが救われた気がするのは、なんだか不思議だ。人は現実に苦心惨憺すればするほど大きな存在に縋りたくなるというが、無意識に自然全体に救いを見出そうとした僕は自らを労ってやる必要があるのかもしれない。

 

 あの全能感について、寝起きに聞いていたワーグナーが広大な浪漫飛行に連れて行ってくれたのかもしれない…『トリスタンとイゾルデ』、音楽だけでなくその物語にもちゃんと触れたいものだ。