けしのはな

沈黙を舌で味わう

せいかつ

ボディソープの容器のふたを開けて、ストロー状の部分から滴り落ちる液剤を使うくらいなら、少なくなった時点で買いに行けばいいとあの人は言うだろうか。生憎僕は、そこまで賢くないもので。


 祈りは生活に宿る、と信じている。信じている割には、生活を疎かにしてしまっている。部屋の乱れは心の乱れ、などという陳腐な言葉を好きにはなれない。散らかった部屋にこそ休まる精神もあるのだ。床の隙間は、人生の無意味性の香りを発するので、脱いだ服で蓋をしなければならない。パスカルなら、それは「気晴らし」だなどと言いながら叱ってくれるだろうか。


 食器の山を作る時だけ神経を尖らす。怠惰が堆積して一つの建造物が完成する。言葉ばかりが僕らの心を認識可能にするわけではないのだ。とりあえず洗剤をかけておこう。


 僕は蛸だ。証拠は玄関にある。僕はケルベロスだ。証拠は床にある。様々なUMAも、こんな風に生まれたのかな、とか考えてみたりする。我々は世界の事物に関心を向け、道具性を与える。それと同時に、事物も僕らを規定しているのだろう。地球温暖化か何かで液状化した僕のからだを、この部屋の凸凹が輪郭づけてくれている。固体化したいわけではない。上善如水なんて言うし。ゼラチンなら思い出に。


 あの人がいたころはもっと片付いていたことだろう。よく覚えていないが、きっとそうだろう。君から借りていた黒いエレキギターに映る僕はもう少し痩せていた。まだカップ麺にはまる前のことだ。僕が離れたかったのはあの人からではなく、あの人のきちんとした生活からだったのかもしれない。

 


 僕はあの人からの便りを待っている。郵便受けは広告でいっぱいだけれど。