けしのはな

沈黙を舌で味わう

世界にとろける

今、就職活動にいそしんでいる。


一年留年しているから、同学年の友達や知り合いが間もなく社会人になっていくわけで、何か取り残された気分になるものだ。


就活では自己分析が重要だと、いたるところで言われる。当たり前のことだ。自分で自分を売り込むには、当然自分のことを知っていなければならない。


自分の強みや弱み、大学のころ頑張ったこと、将来のキャリアプランなどを言語化し、整理し、いつでも取り出せるようにする。
もちろん、面接官やESを見る人は嘘など軽く見破るプロなので、虚偽のエピソードや誇張した長所などもかけない。精一杯自分と向き合わなければならない。


この自己分析、やればやるほど無性に虚しくなる。自分をバラバラにして、売れる自分にするために再構築している気分。就活のための自分を作っていくたびに、本来の自分がなくなっていくような感覚。自分はこんな人じゃなかった気がする、本来の自分からだんだんと遠く離れて、理想の自分が光の中を歩いていく。


本来の自分。しかし、自分が自分だと思っているものは、どこにあるのだろう。僕を構成する諸要素は日々少しずつ入れ替わってゆく。10年前の自分と同じ細胞なんてごく一部だろう。僕という体は常に死に、常に生まれている。僕のこの思考も、数秒後には全く異なるものになっている。寝る前と起きた後に、どんな連続性があるというのだろう?


こう考えていくと、自分の体も心も、その境目が曖昧なものになっていくように感じる。「僕」なんてまやかしだ、僕をほかのものと区切る仕切りなんて何もない―――ああ、この世界と同化してゆく...。


この世界の見えない大きな流れに身を任せるような気持になってゆく。世界にとろける。自己という殻が破れ、宇宙のように「僕」が無限に膨張する。無限の円の円周が中心と一致するように、何もかもが一つになっていく...。いや、最初から僕は全てであり、無なんだ...。

 

 

 


ふと目を開けると、目の前の画面には書きかけのESが映っている。「私は幼少期のころから...」「私が大学生活で頑張ったことは...」
現実に引き戻されたような気がする…。


いや、一体、現実とはどこにあるのだろう...。再び目を瞑り、現実と夢との境界線を解いていく...。幾分か、気が軽くなる。