けしのはな

沈黙を舌で味わう

おとな

僕らは数多の選択肢を持っている、そう思い込んでいるのかもしれない。大空を飛ぶ鳥のように、大海原を泳ぐ魚のように。


でも僕らはきっと、鳥のことも魚のことも、ろくに知らない。


人生というものを比喩的に語るなら、沢山の分かれ道を想像するかもしれない。それとも、方角すらない砂漠か。


僕らは自分の足で、自分の意志で、決めたところに向かっていく。それが山の頂上であろうと、オアシスであろうと、自ら目標として設定した対象に向かっていく。


そうはいっても、分かれ道の片方が何かで塞がれていたり、砂漠に誰かの通った道がまだ残っていたりするもので。


思ったよりも一本道を歩いているのかもしれない。誰かの思惑と、生まれ落ちた時空間と、そして自分の弱さに縛られて。


僕らは本質的に自由かもしれないが、それを受容できるほど、きっと強くはない。見えない構造に安住している。

 


僕には、未だに「大人になるということ」が何を意味するのか、解らない。ただ、少なくとも自分がひどく幼いものに感じることは多くある。


大学に入って、一人暮らしを始めて、僕は自由に陥った。今まで敷かれていたレールは途切れた。案内標識も信号も消え去った。方位磁針は狂い始めた。


いや、僕は意図的にそうしたのであった。自分の弱さも知らずに。ただ、目を瞑ったのだ。砂漠は僕が創り出したものであった。


ただ手探りで生きていくことばかりを「自由」と勘違いした。

 


何時しか僕は目を開けることが怖くなってしまった。僕を導きうる太陽の光に目を焼かれるのが恐ろしかったのだろう。


自らの瞼が創り出した暗闇の中で迷子になり、僕はしばし動けなくなった。それでも僕は、これを自由だと思っていた。

 


傍から見たらどれだけ滑稽に映ることだろう!自由を求めて自由を失った道化が、ダンスと称してふらふらしているだけだった。


見かねた周りの人に救われ、長い期間をかけて僕は閉じた瞼を開けることを試みた。光は、案の定僕には痛すぎるものであった。


光に少しずつ慣れてきた僕の目は、雑然とした世界を見た。

 


僕はこの世界で生きていくことを決めた。足の踏み場をこの目で見極めて進んでいく。


進める場所なんて、思ったよりも限られているものだ。僕の力でどかせる障害物なんて、ほんの少ししかないらしい。


何か大きな力に操られ、既に選択された道を進んでいく。僕にできることは、その力を受容することだけだった。

 


学問も就職も、結婚も、死ぬまでの生活すべて、思ったよりも僕の力ではどうもならないものだろう。


そんな現実から目を瞑ることは、僕にとって、ただの逃避でしかなかった。

 

 

 

 

 

 


こうはいっても、僕は自分が自由な主体性を所有していることを知っている。そして、それを「愛」と呼ぶことも。


愛のもとに、僕らは無制限に自由なのだ。


僕は僕を愛する。僕は人間を愛する。世界を愛する。貴方を愛する。